差し出された手 2


 そう言いながら、フェルディナントがドアを開けた。聞こえてくる歓声で、前庭に続くバルコニーのある部屋だと分かる。もし何かしようとしたら、舌をかみ切ってやる。そして血を顔に吐き付けてやるのだ。それだけでもきっと、何もできないよりはましだろう。そんなことしか考えられない自分が悲しいけれど。
 部屋の真ん中で床に降ろされた。腕が回されたままなので逃げられない。でも、いくらなんでも甲冑を着たままで私を好きにはできないだろう。精一杯の虚勢を張って、見下ろしてくるその目をにらみつける。
「君の父上は、酷い圧政をひいていた」
 思いも寄らない言葉に目を見張った。フェルディナントは小さく息を吐くと、眉根を寄せる。
「やはり知らなかったんだな。これは元々謀反だったんだ。様々な計画の噂が入ってきた。そのどれもが酷い物で、私は手を貸さずには」
「嘘! 父上が圧政をだなんて、そんな」
 そう言いながら、自分が何も知らないことに気付く。謁見や舞踏会。自分が果たしていたのはこの国の飾りだったのだから。でも。
「信じたくないのは分かる。だが、証拠もある」
「じゃあ、見せて。今すぐ見せてよ!」
 フェルディナントは腕を解くとバルコニーを指し示した。勝ちどきを上げる兵士たちの前に出ろと言うのか。いや、それでいいのかもしれない。父上の仇に抱かれるよりは、石つぶてに打たれて死にたい。圧政が本当なら、父上の罪を少しでも引き受けたい。
 バルコニーに出る前に一度だけ深呼吸をし、意を決して足を踏み出した。
「ベアトリーセ様!」
「ベアトリーセ王女、万歳!」
 そこは敵兵ではなく、民衆で埋め尽くされていた。隣国に落とされたはずの民なのだが。その歓声の大きさ、聞こえてくる自分の名前に愕然とする。
「これで分かっただろう。君も民を救った一人ということになっている。いや、本当に救えるかはこれからの君にかかっているのだが。今から表向き、君は私の妻だ」
 フェルディナントが横に立った。歓声がフェルディナントの名前に変わる。
「面倒なことをしたものね、策略家が聞いて呆れるわ。進んで妻に仇として狙われる立場になるなんて」
「前王の敵を取りたければ、いつ挑んできてもかまわない。だが、仇を討つより先にこの国の民衆を救え。それが君の義務だ」
 義務。その言葉にずっと縛り付けられてきた。それが変わらずそこにあるのは、もしかしたら私にとって幸せなことなのかもしれない。そしていつかきっと仇を。フェルディナントはククッとのどの奥で笑い、冑を外した。思いの外整った顔が現れる。
「俺は策略家だ。ちゃんと君も手に入れた」
 その言葉に思わず目を見開いた。その隙を突いて唇が重なる。歓声が大きくなった。
「次はどうやって惚れてもらうか計画を立てないとな」
「……、バカじゃない?」
 返す言葉は、もうそれしか浮かばなかった。

☆おしまい☆


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