境界 2
ふと、肩口から前に霧が流れてきた。後ろから微かな風が吹いたのだ。振り返ると。
あの人がいた。
変わらない優しい笑顔が愛おしい。手を伸ばすと、指先に感触があった。思わず自分の指先に触れて確かめる。間違いない、あの人は今ここに存在しているのだ。
夢のようだが夢ではない。ここでならこの思いを果たすこともできる。捕まえて力の限り掻き抱く。唇に首筋に肩口に、口づけを繰り返す。
自分の後頭部を背を、あの人の手が何度も行き来する。手の中の感触が、自分を支配していく。今こそこの人のすべてを、自分だけの物にできる。
霧さえ入り込めない距離に、あの人がいる。身体も心もあの人が満たしていく。夢ではない、あの人が腕の中にいる。
夢ではない。あの人がいる。これは夢ではない。
歌が耳朶に触れる。穏やかで優しい響きは、あの人の声だ。子守歌だろうか。
そうだ、子守歌だ。眠ってはいけない。いや、頭は冴えている。大丈夫だ、眠らずにいられる。あの人の、この膝の感触は揺るぎない。
――おやすみ――
え? 何か言ったか? 聞こえた気がした。声は聞こえていない。でも、何か聞こえた。あの人が微笑む。あの人が。
君は、誰だ?
徐々に微笑みが消える。あの人も消える。頬に感じていた膝は……。
ここは、どこだ?
どこだ……
ど、こ…………
― 了 ―