レイシャルメモリー後刻
第14話 その瞳に映る世界を 10


   ***

 廊下側のドアの側を歩き回るシェダが、フォースの視界の隅に映っている。それすら気にならないほど、フォースの意識は隣に繋がるドアの方角へ向いていた。窓の側に置かれた机で仕事をしてはいるが、リディアの部屋から聞こえる声や音にも聞き耳を立てている。タスリルの声が聞こえることもあれば、誰か他の女性の言葉が漏れてくることもある。
 リディアの声は母親であるミレーヌが入室してすぐに聞こえた一度きりだ。息を吐ききってやり過ごす、というタスリルの言いつけを守っているのだろう。
 だが、気を抜いたら叫び声を上げてしまうほどの痛みなのだ。仕方がないとは思いつつも、リディアに何もしてやれないことにフォースはいらついていた。
 仕事は思うように進まないが、対処を終えた書類はある程度の山になっている。それだけ時間が経っているのだとフォースは実感していた。だが、隣からはなんの連絡も入ってこない。異常がないということなのだろう。
 だが、そんな言葉の一つでもいいから、報告が聞きたかった。ドアの側を足音が通るたび、どうしても視線が惹き付けられる。
「君はどうしてそんなに落ち着いていられるのかね」
 どうしてとは言ったが、シェダの声はたずねているというよりも呆れているように聞こえた。そんな風に言われるのは、シェダがまったく自分を見ていないからだと思う。
「落ち着いてなど。隣の音に耳を澄ませているから、そう見えるのだと思いますが」
「独り占めか!」
 シェダの声が大きくなり、フォースは慌てて手のひらをシェダに向けた。
「いえ、ここからリディアの声は聞こえません。まったく。一度も」
 本当かね、などとつぶやきながら、シェダはフォースの後ろを通り、ドアに耳を寄せる。フォースは知らない振りで、また机に向かった。沈黙が重たく感じる。
「いつの間にか呼び捨てだな」
「は? あ。いけませんか?」
「事実を述べたまでだ」
 そう言うと、シェダはまた黙り込んだ。こんな会話では、沈黙の方がまだマシかもしれない。隣の音に加えてシェダまで気になってしまったら、仕事などまったく手につかなくなった。ただ、ペンだけは離さず持っている。
「だいたい、子供なんて作るからリディアがこんな目に……」
「はぁ? 赤ん坊はまだかと望んでいらしたではないですか」
「一度しか言っておらん。二回目が言えないほど早かった。待つ楽しみも考えてくれたら有り難いとも思えるものを」

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