レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
第1部3章 抱卵の真実
2. 女神の詩 01
「ここまでどうして急かされたんだかな」
フォースは椅子の背にもたれかかり、天井に向かってため息をついた。リディアは、ソファーで跳ねて遊んでいるティオを気にしながら、そうよね、と小さく答える。
「ここって、シャイア様にとってそんなに大きな存在なのかしら」
二人は食堂と応接室を兼ねた広い部屋、大きなテーブルの角をはさんで座っていた。階段から見下ろすと右奥になる場所だ。
「何かあるのかもな。ヴァレスに」
フォースは天井を見上げたままつぶやいた。リディアは不安げに部屋を見回す。
「神殿、に?」
え? と身体を起こし、フォースも思わず部屋を見渡した。ティオがソファーに横になって足をばたつかせているのが目に入ったが、何も変わったところはなく、照れたように笑う。
「いや、理由があるとしたら、それが一番自然なんだろうと思って。探検するような場所はないけど」
フォースの言葉に、リディアはほんの少しの苦笑を浮かべる。
「国境を元に戻すまでって気合いを入れてたのに、こんなにすることがないんじゃ気が抜けちゃう」
国境を元に戻すまで。フォースは両腕をテーブルに乗せ、リディアの言葉を頭の中で繰り返した。抱えていた思いが口をつく。
「国境を元に戻したら、リディアはどうしたい?」
「どうって……」
リディアは、見つめていた濃紺の瞳から視線をそらす。
「今みたいに一緒に、できれば普通に暮らしたいけど、でも……。シャイア様がいるうちは、フォースは前線で戦わなくてもすむのよね」
「え? あ……」
いつの間にか参戦が普通になっていたことに、フォースはショックを受けた。自分のことだけではない、女神が居る間は兵同士の接触すら、ほとんど起こらずにすむのだ。リディアがこのまま降臨を受けているうちは、女神の力のおかげで、まるで戦をしていることが嘘のように平和な時が流れる。それは戦が終わったわけではなく、偽り、見せかけだけの幸せには違いないのだが。いくら見せかけだけだとしても、リディアがそれを望まないはずはない。
「ゴメン、そうだよな」
フォースは視線を落とすと、小さくため息をついた。いっそのこと、リディアを連れて逃げることができたらと思う。だが、どこに逃げても戦の影はついてくる。しかも、ドナの事件で毒を飲んで生き残った母と同じように、降臨を解くことで非難を浴びる対象にもなりかねないのだ。フォースは、どうしてもそれだけは避けたいと思った。