レイシャルメモリー 2-05


「逃げない」
 マクヴァルの言葉を遮った、小さいがハッキリした声に、三人は視線を向けた。紺色の瞳がそこにある。
「気がついたか!」
 クロフォードは、フォースの顔をのぞき込んだ。フォースは何度か荒い息を繰り返してから、もう一度口を開く。
「リディアに手を出すな」
 絞り出した声に、苦々しげな表情を向けたマクヴァルを、フォースは精一杯睨みつけるように見た。
 メナウルの法衣を黒く染めたような衣服のマクヴァルは、フォースの目にも紛う方なく神官に見えた。そして、巫女をさらおうなどと言うのも、神官だからに違いないと思う。
「約束は守る」
 そう言った目の前の顔は、間違いなくサーペントエッグの肖像の人間、ライザナル皇帝であり、フォースにとっては実の父親でもあるクロフォードだ。だが、肉親だという実感は、フォースには予想通り微塵も感じられなかった。
「では、一年後には間違いなく」
 神官のその言葉に、クロフォードがしっかりとうなずく。そのクロフォードに対しての敵意と、一年で何ができるのかという不安が湧き上がってくるのを、フォースは止めることができなかった。
 窓の側にいたジェイストークは、ベッドを回り込むとクロフォードの側に立ち、薬師を、とひとこと言ってドアへと向かう。それを目で追ったフォースに、ジェイストークは笑顔を向けて、部屋を出ていった。気を許してはいけないと思いつつ、僅かにでもホッとする自分に、フォースは腹が立った。
「辛いか? なんとかしてやりたいとは思うが」
 クロフォードはフォースの髪をそっと撫でる。その手を振り払おうとして、身体がひどく重く、思うようには動かないことに、フォースはショックを受けた。ようやく腕が持ち上がりかけたところで、クロフォードはフォースから手を離し顔を上げる。
「毒を仕込んだ剣をアルトスに渡した神官はどうした」
「はい。発見いたしました。ですが、自害しておりましたゆえ、追求はできませんで。残念です」
 マクヴァルが軽く頭を下げて言った答えに、クロフォードはうなずいた。だがフォースには、マクヴァルをまっすぐ信じることなど出来そうにない。自害など、なんて都合のいいことだろう。もし口封じに殺してしまっていたとしても、この言葉だけでは状況も分からない。自分は邪推が過ぎているのだろうか。だが今は、それくらいで丁度いいのだとも思う。
「アルトスは」
「謹慎させております」
 マクヴァルの答えに、クロフォードは長いため息をついた。
「分かっているだろうな? そなたが降臨を受けているのでなければ、一緒に謹慎させているところだ」
「充分に」

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