レイシャルメモリー 1-02
ナシュアに向けられた言葉に、書庫へと続く階段に向かっていたユリアが、驚いた顔で振り返った。ナシュアが少し困ったような笑みを浮かべる。
「どうしてですか?」
「辞めること、フォースとも話していたんです。こんなことになって、言う切っ掛けを失ってしまって」
書庫からの階段を、たくさんの本を抱えたティオを先頭に、タスリルとグレイが上がってきた。話しが聞こえていたのか、何冊か手にしていた本を机の隅に置いて、グレイが口を開く。
「何も今でなくても。フォースが帰ってきてからだって遅くないよ」
「でも、歌えないんです。声が……」
「それはこんな状況だからかもしれないだろ? せめて連絡が来るまで待ってみてもいいんじゃないか?」
グレイの言葉に、リディアは無言で瞳を伏せた。連絡など、いつ来るのかも分からない。
「それにね、リディアがソリストでいた方が、フォースは安心していられると思うんだ。帰ってきてから復飾するという手もあるし」
リディアは大きく息をついて、肩を落とした。復飾とは、それ相応の理由があった時にシスターになった者が神職を離れることだ。隣国の皇位継承者が婚礼を望み、本人も承諾するとなれば、それは間違いなく理由の範囲内である。
本当はソリストで居続ける方が、フォースの安心に繋がるだろうことも、リディアには分かっていた。もし女神が降臨を解いてしまっても、神殿にいる限り生活を変えることなく、いつまでも同じ状況でいられるのだ。だが。
「私には、もうシャイア様を思う余裕が無いんです」
それはリディアにとって、どうしても辛い事実だった。黙って見ていたユリアが、あぁもう、と声をあげる。
「思おうが思うまいが、あなたの中にシャイア様はいらっしゃるのよ?」
「でも」
「余裕なんて関係ない。ソリストを辞めることで降臨を解かれたりしたらどうするの?」
そんなことがあるだろうかと思いながら、それでもリディアはユリアに何も言い返せなかった。うつむいてしまったリディアを見て、タスリルは小さく息を吐く。
「お前さん、あの子が生きているって思いたいんだね」
タスリルがつぶやくように言った言葉に、リディアはハッとして視線を合わせた。
「約束したこと、話しをしたこと、すべてしてしまって待ちたいと、そういうことなんだろう?」
そういいながら側まで来ると、タスリルはリディアの肩に手を置いた。リディアはその手をぼんやりと見る。
「そうかも、しれません……」