レイシャルメモリー 1-05


 その一言を口にすると、リディアの瞳から堰を切ったように涙があふれだした。リディアはユリアを腕で包むように抱きしめる。
「え? ちょ、ちょっと!」
「ありがとう。励ましてくれて」
 繰り返される感謝の言葉に、リディアを引きはがすこともできず、ユリアは狼狽えている。
「私、あなたなんか、どうなったってよかったのよ?」
「でも、私のことを見ていてくれたわ」
「あの人だって、今死んでしまえば誰のモノにもならないって思って……」
「お茶にお砂糖を入れてくれたわ」
 ユリアはリディアの震える肩を見下ろしてため息をついた。
「バカよ、あなた」
 そのため息と一緒に出てきた言葉には、少しも力が入っていなかった。リディアの腕の中にいるのが、ひどく心地良く感じる。ユリアは、どうしてリディアが人に好かれるのか、不覚ではあったが理解してしまった気がした。
「……、もう、あなたの勝ちね」
「勝ち?」
 リディアに不思議そうに顔を見上げられ、ユリアはツンとそっぽを向いた。リディアは首を横に振ると、今はきっとこれで目一杯だろうというくらいの笑顔を浮かべる。
「いいえ、誰も勝っても負けてもいないわ。ありがとう」
 その言葉を、ユリアは黙って見つめた。リディアに抱きしめられた腕の感覚と一緒に、ありがとうという言葉が身体に染みこんでいく。
 ユリアには、リディアに嫌われていないという事実が衝撃だった。さんざん嫌な思いをさせたのだから、受け入れられなくても当たり前だと思う。でも。リディアの笑顔は間違いなく自分に向いている。求められているわけではないが、すべてを容認されているのだ。
 リディアの瞳から落ちる止まらない涙を、ユリアは思わず指で拭った。ユリアは、その行動に目を丸くしたリディアに気付き、自分は何をしたのかと驚いて手を引く。
「い、いつまでも泣いてるんじゃないわよっ」
 そう言いながらユリアは、わだかまっていたモノが解けて溢れそうになるのを感じていた。
「マルフィさんとアリシアさんにも知らせてくるわ」
 膨らんでくる気持ちを悟られないように、ユリアは身を翻して講堂へと続く廊下に駈け込んでいく。キョトンとした目で見送ったリディアは、ユリアを追いかけようとしてナシュアに引き止められた。
「いいんですよ」
「でも私、また何か怒らせてしまったみたいで」
 慌てて涙を拭いているリディアに、ナシュアが微笑みを向ける。
「大丈夫です。ユリアは怒ってなどいません。今は一人にしておいてあげてください」
 ナシュアの変わらない微笑に、リディアは少し心を残しながらも、分かりました、と返事をした。

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