レイシャルメモリー 2-05


「てめ、絶対勘違いしてるから戻ってこい!」
「勘違いも何も。事実だ事実」
 笑っているバックスの周りが目に入り、フォースはもうすぐそこに宿があることに気付いた。前方には、ちょうど宿の目印になる、街道沿いの大きな木が迫っている。アイーダの最も城都寄りで、裏手には森が広がっている場所だ。馬車も速度を落とし始めた。
 先に着いた兵士たちが、馬を集める者、宿へ向かっていく者と、それぞれ行動を始めている。
 御者は宿の真ん前に馬車を止めた。フォースはサッサと扉を開けて飛び降り、馬車の中のリディアに手を差し出す。リディアはその手を取って巫女の服の裾を気にしながらゆっくりと降り立った。手招きをするバックスの側へと歩を進める。
「明日には城都だ」
 バックスの声は明るい。フォースは周りに目を配りながら苦笑した。
「不気味なくらい何も起こらないな」
「ありがたいじゃないか」
 そう言いながら、バックスは宿の扉を開けた。
 正面のカウンターに誰も見えない。そのこちら側にいる何人かの兵士が、カウンターをのぞき込み、乗り越えていく。一人の兵士がバックスの方へ戻ってきた。
「どうした?」
「カウンターの中に、宿のご主人が倒れているんです」
 その兵士を追うように出てきた部屋の空気が、フォースを撫でるように通り過ぎる。その空気の重さが、溶け落ちたデリックが作った、薬を含んだ空気の記憶と交錯した。
「宿から出ろ、すぐだ。扉を閉めてくれ」
 兵士たちは、わけが分からないといった表情のまま、フォースに従って宿を出てくる。
「フォース?」
 兵士に閉められるドアを見て、バックスが疑わしげな顔で振り返った。フォースは宿から離れるように促す。
「薬だ。どこまで仕込んであるか分からない」
「薬? どこにそんな」
「宿に焚きしめてある。気を付けろ、近くに敵兵がいるぞ」
 フォースと目を合わせていたバックスが、了解、と冷ややかな笑みを浮かべた。
「ってことは標的は宿か。包囲でもしてるんだろう」
 側にいた兵士を一人捕まえると、耳元に口を寄せる。
「迎撃準備だ、兵と馬を戻せ。淡々と急いでな」
 その兵士と入れ替わりに、イージスとアジルが側に来た。
「ご無事でしたか。馬小屋に毒が」
 控え目な声で言ったイージスに、フォースは顔をしかめる。
「馬小屋も?」
 フォースが返した言葉で宿もだと察したのだろう、イージスはうなずいて、首を動かさずに周りをうかがった。アジルは身体の側で目立たぬように親指で後ろを指差す。

2-06へ


前ページ 章目次 シリーズ目次 TOP