レイシャルメモリー 3-08


「お前を盾にされ、エレンは抵抗もできなかったらしい。だが、国境間近で逃げられたそうだ。ところがエレンはマクラーンに戻らず、いつの間にかドナにいた。犯人は確かに息子だ、だが帰らなかったのはエレンの意志なのだぞ? メナウルの軍部にはライザナルの人間がすでに何人か配属されていた。見つかれば、かどわかしたとして殺されてしまう!」
 クエイドの拳が机を叩き、カップのお茶を揺らした。その拳に力がこもる。
「それを怖れた息子は、エレンとお前がドナに居るのをライザナルへ知らせるために、ドナの事件を起こしてしまったのだ。だが、何もかも計算が狂った。息子は間違いなくお前達は生き残ると思っていたようだ。同じ立場なら誰だってそう思うだろう。それが、あんなことになってしまった」
 脳裏にエレンが斬られた時の情景がよみがえり、フォースはクエイドから視線を逸らして眉根を寄せた。クエイドは短い笑い声をたてると、握っていた拳をほどく。
「しかもライザナルが気付くのが遅すぎた。ライザナルの者が後から来て探りを入れても、ドナの誰もが何も言わない。そりゃあそうだろう、村の人間はみな、エレンを殺した罪悪感に取り憑かれていたんだからな。結局私の息子も無駄死にだ」
 クエイドの顔が悲痛に歪み、その視線を夫人のいるドアへと向ける。
「戦が終わってしまえば私の立場はどうなる? どちらの国からも非難を受け、きっと何も知らない妻までも野垂れ死にさせてしまう。だから戦という均衡を保たねばならなかった、とにかく、どうしても続けなくてはならなかったんだよ」
 クエイドは胸に溜まった息をすべて吐ききるようなため息をついた。何かを思い出したようにハッと目を見開くと、視線を上げる。
「ゼインは? ライザナルにいただろう? どうしているか知っているのか?」
 すがるような視線がフォースの身体に絡みついてきた。フォースはクエイドをまっすぐ見つめたまま口を開く。
「俺に仇を取ろうとして、アルトスに斬られた」
「死んだのか?!」
 悲痛に歪められた顔に、フォースはうなずいて見せた。
 クエイドは身体から力が抜けたように両肘を膝につき、手で顔を覆った。そこから長いため息が漏れてくる。
「私は何もかもを失ってしまったのだな……。嘘を重ねた報いだ」
 静かな部屋に、クエイドの震える呼吸音だけが聞こえている。フォースは夫人のいる部屋に目をやると、もう一度クエイドに視線を戻した。
「嘘なら俺もついた。あの人に」
 その声にクエイドが顔を上げた。悲嘆に暮れるその表情に背を向け、フォースは足を踏み出す。
「私はどうすればいいのだ」
 クエイドの声が、フォースの背中に響いた。フォースは一瞬足を止めたが、そのまま歩を進める。
「戻ります。後はお任せします」
 フォースはグラントの視線を受けてそう言うと、クエイドの家を後にした。

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