レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
第3部3章 決意と約束
1. 旅立ち 01


 石室に入ると、マクヴァルは床に描かれた線の前まで、臆することなく進んだ。まわりを確認するように視線を巡らすと、円形の図柄に向かって両手を差し伸べる。体制が整うと、ごく自然に風の呪文が口をついて出た。
 床の白い線から、黒い砂粒が舞い上がるように闇が舞い上がる。そして、いつものように円の中央から妖精の一部が見え始め、大きく膨れ上がっていく。
 時間を見つけては神殿地下の石室にこもり、マクヴァルはこの作業を幾度となく繰り返していた。回数はすでに覚えていない。引きずり出す妖精も、それなりの皮膚を持ち、最低限の知識だけは保っていられるようになった。その上、人間よりもがたいが大きく、襲わせるという意味でも使える力のあるモノになっている。
 線から立ち上っていた闇が収まっていき、妖精が完全に姿を現した。いびつだが行動に支障のない両手両足を、伸びをするように大きく広げる。手を下ろしたマクヴァルは、まだ同じ風の言語で妖精に向かってつぶやきを続けていた。
 大きな炎の音に聞こえる息遣いが、部屋に低く響きだす。この不気味な音を聞いて、普段目にする妖精だと思う人間は、たぶん一人もいないだろう。
 意思の疎通ができたのか、マクヴァルは薄い笑みを浮かべた。入り口と反対側の壁に手を伸ばし、口の中でブツブツと呪文を唱えるマクヴァルが見据えた壁が、重たく引き摺る音を立てて左にずれていく。妖精は自らその向こうにある暗い通路に姿を消した。
「でかいな」
 無意識になのかそうつぶやき、マクヴァルは再び左にずれた壁に手を伸ばすと、呪文を唱えだした。壁が元の通りに収まっていく。
 その途中、円の白い線から闇が浮いたような気がして、マクヴァルは壁を戻す手を止め、円に手を差し出した。
 何度かこういうことがあった。暴走、という言葉が頭をよぎったが、首を横に振る。繋がってしまったのなら、この状態が続くはずだ。だが妖精を召喚した後、その名残のように弱い力を感じるだけで、何事もなかったかのように収まっていく。
 まだ人が一人通れるほど細く開いている壁に視線を投げ、大きさのある妖精を呼べば簡単に通り抜けられないだろうと考えると、マクヴァルは再び床の円と向き合い、風の呪文を口にした。
 すぐに円の中心から光があふれ出した。マクヴァルは驚いて声を止めたが、光は強さを増していく。
 まぶしさに細めたマクヴァルの視界の中、その光は床を離れて浮かび上がった。光が弱くなるに連れ、その光を放っているのが人の形をしていると分かってくる。
 きゃしゃな体付き、そしてその身体に見合った細い腕を胸の前に合わせている祈るような格好のそれは、光を失うと同時に足先を床に降ろした。柔らかそうな半透明の布が何枚も舞い降りて細い足を膝まで覆い隠し、浮かんでいた長い金色の髪が身体に添うように落ち着いていく。

1-02へ


前ページ 章目次 シリーズ目次 TOP