レイシャルメモリー 2-08


 壁が石でできているせいでうなり声が響くため、その発生源がどの方向にあるのかが分からない。ジェイストークは焦る気持ちを抑えつけ、護身用に身に着けている短剣を探った。
 手が短剣に触れたその瞬間、身体の右側、至近距離に影が入り込んできた。とっさに後ろに飛んだが、空気を切る音と同時に太股に影の爪が走る。
 着地して踏ん張ろうとした足の痛みに、体勢が崩れた。黒い物体が視界の正面を一瞬で占める。
 目がある。そう思った時、その目の前を黒い物体が振り上げた右腕らしきモノが通り過ぎた。
 来る。短剣を鞘から引き抜くと同時に、間を取るために後ろに下がった。腕の長さを充分に考慮したつもりだったのだが、鋭い爪の先が身体をかする。
 視界の隅に、マクヴァルが映った。
「来るな!」
 思わずそう叫ぶと、ジェイストークは注意を引くため、黒い物体の目の前を短剣で薙いだ。黒い物体がジェイストークに向き直る。
 人の形に似てはいるが、間違いなく人間ではない。とにかく怪物としか言い表しようがなさそうだ。
「逃げろ!」
 マクヴァルがどこに行ったかまで、確認している暇はない。そう叫んで、後は忘れるしかなかった。しかも長剣ならともかく、短剣では相当に分が悪い。怪物はそれしか脳がないかのように、再び腕を振り上げ、勢いを付けて振り回してくる。
「お前は」
 マクヴァルの声が響いた。
「俺も隙を見て逃げるっ。こんなのを相手にしていたら、命がいくつあっても足りない!」
 ジェイストークは黒い腕から逃れるため、後ろに下がりつつ叫ぶ。黒い腕が空を切る音と同時に、石の床を遠ざかる靴の音が聞こえた。
 ホッとしたその時、何かに足を取られるのを感じた。後ろに転倒しそうになり、床に手を付く。直後、左から脇腹に衝撃を感じた。その勢いのまま右に飛ばされ床に転がる。身体がエレンの棺に当たって止まった。
 黒い怪物の方を見て、自分がつまずいたのが、分厚い本だったのだと分かる。さっきまでは無かった。マクヴァルが落としていったのだろう。だがシェイド神の教義には本は使わない。
 激痛が走る左脇腹を押さえようとした手が、ヌルッと血ですべった。その手を目の前にかざしたが、よく見えていないのか血が赤くない。影のように黒く見える。
 近づいてくる怪物の向こう側に、マクヴァルの黒い神官服が見えた気がした。その位置関係で、もしかしたらこの黒い物体はマクヴァルが操っているのかもしれないとの疑惑がわき上がってくる。

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