新緑の枯樹 16-1


 城都に戻る前、ここでアルトスに遭った。その時は日中だったが、今は星がひしめき合うほど見える、月の小さな夜だ。ぐるっと木に囲まれた何もない草原に、ただ一本だけ細めの木が真ん中寄りに立っている。前はそんなことすら気付かなかった。よくもまぁ生きて帰れたと、これまでの自分に呆れる。
 さっきまで俺は、隊の半分ほどが泊まっている宿の、酒場に顔を出していた。そこにはウィンの諜報仲間であるスピオンもいた。計画通り、顔を真っ赤にしたアジルが俺に絡む。
「アルトスにつけ狙われてちゃ、出陣もなしですか」
「アルトス? そんなもん関係ない」
 本当は、関係ないわけなど無い。スピオンのおかげで情報が筒抜けになっているあいだ、隊の全滅を避けるためには、仕方のないことだったのだから。
「怖いんじゃないですかぁ?」
「んなことねぇよ」
「だったらあなたがアルトスと会ったあの草原に木が1本だけあったじゃないですか。そこに名前掘ってきてくださいよ」
「なんだそりゃ。そんなとこまで行けってのか? 面倒だな」
「あれ? やっぱり怖いんじゃないですかぁ?」
「なんだって? そんなに言うならやってやるよ。アルトス本人が出るわけでもないだろうに。バカバカしい」
「じゃあ次に通った時に、ちゃんと名前を掘ってあるか確認しますからねぇ?」
 こんな具合の、売り言葉に買い言葉をスピオンに聞かせ、アルトスを草原に誘い出そうというわけだ。スピオンが一人でこそっと酒場を出て行ったのを確認して、アジルとテーブルの下で親指を立てた。
 スピオンが国境を越えたという報告を受けてから、俺はこの草原までやってきた。アジルは当然のようについてきた。音を立てるとバレるので、アジルは簡単な皮の鎧しか着けていない。アルトスを相手にしてこの鎧では、裸も同然だ。しくじるわけにはいかない。
「アルトスが既にいたり、相手が隊で来たら、サッサと戻ってくださいね」
 そんな当然の言葉を背に受けながら、俺はアジルを林の中に残してこの草原を見渡した。人影がないのを確認し、足元に気をつけながら、真ん中寄りに立つ木に向けて歩を進める。
 木の側に立って、細い幹をながめた。でも、当然名前を彫る気にはなれなかった。木に傷なんてつけられない。もしかしたら見えていないだけで、この木にもドリアードがいるのかもしれないのに。

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