新緑の枯樹 2-3


 リディアのことが頭から離れない。歌うことが好きだったのは知っていた。昔、聖歌隊に入っていたこともある。でも、どうしてソリストだ? いつから考えていたんだろう。いったいどういう理由で?
 だけど俺にはその理由を聞けそうにない。俺が聞けば、リディアが襲われた話を蒸し返してしまうかもしれない。その時に出会った俺のことも、忘れてしまいたいかもしれないのに。
 グレイがそのことを知っていたのにも驚いた。それも自分から話しただなんて、今までのリディアなら考えられない。グレイが言っていたように本当に立ち直ったのだろうか。それとも、もしかしたらそこまで話してしまえるほどグレイが大切なのかもしれない。もし結婚話がグレイから出たモノだったら、受けてしまうほどに。
 俺がシェダ様に結婚話を出された時、もし神官になることを承知していたら……。って何を考えてるんだろう、シェダ様が本気だったとしても、万が一リディアが納得しても、俺が神官をやっていけるわけがないじゃないか。
 なんにしても、シャイア神なんかにリディアを渡したくない。渡したくないったって、俺のモノじゃないことくらい充分わかっているつもりだが。
 急に木漏れ日が強くなり、俺は目を閉じてうつむき、ため息をついた。だいたいこの状況はフラれてるのと同じじゃないか。ひどく気が重い。こんな状態で宝飾の鎧を着けたら、石の床でも沈んでいってしまいそうだ。
 いきなり唇に柔らかな感触が重なり、俺の中の劣情がズルッと嫌な音を立てて引きずり出されてくる。俺は驚いて目を開け、唇を重ねているその人の肩を押しやった。驚いたような顔をしてから、その人はゾッとするほど綺麗な冷たい笑みを浮かべた。
「君は」
 誰だと聞く前に、その人はふと右に視線を送った。つられて見たその先に、リディアがいた。俺は喉まで駆け上がってきた心臓を飲み込んだ。目が合ったのは一瞬だけで、リディアは困惑したようにうつむいた。やはり見られてしまったのだろう。最悪だ。文句の一つも言いたい気持ちで視線を戻そうとして、もうそこにその人がいないことに気付いた。あたりを見回しても、いない。一体……。
「あ、の……、お久しぶりです」
 リディアはうつむき加減のまま、軽く頭を下げた。
「え? あ、久しぶり。元気、だった?」
「あ、はい。フォースも」
 俺は返事の代わりに笑顔を返した。ったく、どうすりゃいいんだ。言葉も素直に出てこない。
「あ、あの、サーデイ様とグレイさんが、サーディ様のお部屋で待ってると伝えてと」
 俺は枝の陰から出てリディアの側まで行き、城の四階を見上げた。サーディとグレイが窓からにやけた顔を出してのんきに手を振っている。ムッとしてにらみ返すと、二人ともケラケラ笑いながら頭を引っ込めた。ずっとそこにいたのなら、さっきの人がどっちに行ったか見ていただろうか。サーディなら名前くらい知っているかもしれない。
 リディアの側にいると、キスで引きずり出された情欲が、そのままになっているのがよく自覚できる。触れたい、抱きしめたい、そんな感情をまるで喉の渇きのように感じ、押さえつけるのがひどく辛い。冗談じゃない。これ以上、リディアに対してバカをやりたくない。
「行こうか」
 都合の悪い感情を隠したくて、うなずいたリディアに背を向け、俺は城の方へ歩き出した。

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