新緑の枯樹 8-1


 城都は朝早くに発った。ゴートは前線と反対の方向なので、郊外に出てしまうと木々の緑が奥深くなり、のどかで静かな雰囲気が続く。俺はリディアを後ろに乗せ、ブラッドと一緒に馬をゆっくり進めていた。
 昨日はシェダ様にゴート行きの許可をいただいたり、グラントさんやアジルにウィンの疑惑を話したりと忙しかった。おかげで寝る時になってからドアがない現実をいきなり突きつけられて、なかなか寝付けなかった。しかも寝入ったはいいが、何度も繰り返し見ているイヤな夢を見た。母が殺された時の夢だ。
 五歳の時だ。当時住んでいたドナという村の井戸に何者かが毒を入れた。どういう訳かその毒は、母と俺には効かなかった。紺色の目を持っているから、そういう血だから毒が効かなかったのだろうか。それで疑惑を持たれたらしく、お前らのせいだと言われ、村民の一人に母は斬られてしまったのだ。
 何度も夢の中で止めようとしたが、どうやっても結果は同じになってしまう。実際そうなってしまったことを、夢の中でどうにかできたからといって、何も変わらないことは充分理解している。でも止めたいのだ。どうしても止めたいのだ。
 結局その夢で残るのは、母を守れなかったやりきれなさと罪悪感、村人や母が言った虚しい言葉だけだ。お前らのせいだ、誰も恨んではいけない、強くなりなさい……。
「どうしたの?」
 その声に振り返ると、リディアが肩口から半分顔を出してこっちを見ていた。堅くこごっていた気持ちがほぐされていく。今朝もそうだった。リディアが起こしてくれたので、あの夢で残るイヤな感覚もそんなになく、今までにないくらいキッパリ起きることができた。
「ありがとう」
「え?」
 リディアは不思議そうに見つめてくる。当然何も知らないリディアには、お礼の言葉が帰ってくることの訳を、理解できるはずがない。俺はごまかすように苦笑して前を向いた。
 そう、昔のことを振り返っている余裕はない。今どうしても守りたいのはリディアなのだから。こればかりは後から後悔するようなことには絶対にしたくない。
 右側、木々の緑の隙間から、陽光を乱反射する水面が見えてきた。森でできた扉を開いたかのように湖が姿を現す。ヴォルタという湖だ。このまま湖の畔に沿った道を進んでいくと、対岸に位置するゴートにたどり着く。
「キレイね……」
 つぶやくようにリディアが言った。それが妙に寂しげに聞こえ、俺は振り返って様子をうかがった。リディアは目を伏せ、景色と言うよりは水面に瞳を向けていた。光を含んだ髪が緩やかな風でなびき、うつむき加減の頬を撫でている。こんな表情を見ていると、リディアは今、幸せだと思っているのだろうかという疑問がわいてくる。
 シャイア神が好きで、ずっと歌っていたくて、それでソリストならまだいい。もしも絶望、諦めなどの後ろ向きな気持ちからなら、必ず後悔すると思う。俺にとっては、それがどっちだろうと、リディアがソリストになることを止めたい気持ちは変わらない。だが、そのためには、なにか理由が必要だと思う。俺がリディアを好きだと思う気持ちだけでは、やはり足りないだろうか。
「なぁに?」
 俺がリディアの様子を気にしていることに気付いたのか、リディアは寂しげな顔をそのままこちらへ向けてから、口元に少しだけ笑みを浮かべた。

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