新緑の枯樹 8-2


「どうして、ソリストに?」
 俺は思わずそのまま疑問を返してしまった。リディアの口元から笑みが消えたような気がして、言ってしまったことを後悔した。だがもう遅い。手綱が気になるふりをして、目をそらすために前を向いた。自分で質問したくせに、答えを聞きくことを気持ちが拒否している。
「やってみないかって話しは前からあったの。どうしようか悩んでいた頃に、タイミングよく大好きな人にフラれちゃって」
 フラれた? その相手が気になって振り返った俺の背中に、リディアは顔を隠すように額を付けた。
「こっち見ちゃ駄目、その人のこと聞くのも禁止」
 リディアの訴えに、仕方なく前を向こうとしたところで、ブラッドと目があった。ブラッドは肩をすくめて馬の位置を下げる。これじゃあブラッドには丸見えだ。ブラッドに文句を言おうとした時、リディアが俺を掴んでいる手に、少しだけ力がこもった。
「前、見ててね」
 この際ブラッドに文句を言うよりも、リディアの話しを聞く方が先決だ。俺は黙って前を向いた。背中が真っ直ぐになって安心したのか、リディアはフッと小さく息を吐いた。
「その人、とてもこの国を大切にする人なの。いつもみんなの幸せを考えているような人。もしかしたらソリストになることで、少しでもその人のお手伝いができるかもって思って」
 ふとグレイの顔が頭に浮かんだ。リディアはなんでもグレイに話していたようだし、グレイは人の世話を焼きたくて神官になったような奴だ。リディアのその人とは、きっとグレイのことだろう。でもソリストになることがグレイの手伝いだったとしたら、やっぱり間違いだと思う。
「それは、リディアがやりたいからやってるんじゃないってことか?」
 背中に当たっているリディアの頭が振れる。
「最初はそうだったかもしれない。でもね、私が歌うことで、喜んでくれる人もいるって分かった時、とても嬉しかったわ。ずっと歌っていてもいいかなって」
「それで、いいのか?」
「喜んでもらえること、幸せだと思うわ。私でもそんな風に人を癒すことができる……。いいのよ、それで。いいの」
 その言葉がリディア自身にも言い聞かせているように聞こえるのは、俺の考え過ぎだろうか。それとも単に俺がそう思いたいだけか。
「なんだか不思議だわ。神殿の外に出るなんて、もう二度と無いかもしれないって思っていたの。こんな風に……」
 もう二度と、か。もう何を言っても無駄なほど、リディアの気持ちは固まっているのだろうか。
 俺はどうしたらいいんだろう。この気持ちを伝えないと、きっと後悔が残る。でも好きだなんて言ってしまったら、リディアに余計な苦しみを与えてしまうかもしれない。俺はグレイではないのだから。それに守りたいのがリディアのすべてなら、リディアが幸せに思うソリストとしての時間も、大切にしなければならないのだろう。
 最初から俺の仕事はソリストの護衛だ。やり遂げないと、やはり後悔は残る。どっちにしても後悔が残るなら、リディアが苦しまない方を選びたい。どうしても、俺はリディアを傷つけたくはないのだから。
「見えてきましたね」
 ブラッドが馬を並べてきて、湖の対岸、道のずっと先を指さした。見ると何軒かの家の屋根が、低木の間から顔を出している。ブラッドは、いかにも木々が邪魔だといった風に、首を左右に動かして家々に見入っている。

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