大切な人 2-7


「あらヤダ、忘れてたよ。私が持っていくから、部屋に戻っておいで」
 そう言うと、マルフィさんは慌てて奥の厨房へと小走りに駈け込んでいった。それを見送り、リディアは俺に向き直って心配そうに見上げてくる
「トレイルさんみたいな人は苦手なのね。大丈夫?」
「ゴメン。でもたぶんもう平気だよ」
 軽く頭を下げて苦笑した俺の顔をうかがうように見上げ、リディアは本当に表情を読んだのか安心したように頬を緩める。俺はその笑顔を抱きしめ、よかったと動きかけた唇に口づけた。リディアはいつものように恥ずかしそうに目を伏せてから、柔らかな笑みを俺に向ける。
 この微笑みを守るためなら、俺はどんなことだってしようと思う。仕事じゃなくても交換なんかしてたまるかと、思わず心の中で舌を出した。
 部屋へと向かって歩き出すと、グレイとトレイルが話す声が聞こえてきた。近づくにつれ、会話がハッキリしてくる。
「おかげさまで、彼らの様子はじっくり観察させていただいてます」
「なにか見えましたか」
「ええ。面白いですねぇ。仕草や言葉が似てくるんでしょうか。は? って驚いた時の声の出し方とか目の見開き方がそっくりで」
 俺はリディアと顔を見合わせ、部屋へ出る一歩手前で足を止めて、なんの話をしているのかと二人で聞き耳を立てた。
「あぁ、言われてみれば。ちょっとした癖がお互い伝染していますかね」
 グレイの声が、妙に楽しそうに聞こえる。
「それと、リディアさん、答えに困ったらアイコンタクトを求めるんです。色っぽいですねぇ。リディアさんにあんな風に頼られてみたいですよ。でも、エピソードとしては弱いんですよね」
 ハッとしたように俺を見たリディアに視線を向けると、リディアは恥ずかしそうにうつむいて上気した頬を両手で覆う。
「実際にあったことをネタにするのではなく、派手に演じた方が、視点が全部そちらに行きますので、お互いにベストではないですか?」
「でも、分かるでしょう? いまさらなんです。相乗効果を狙って半分現実で売っていましたからねぇ」
「確かに相乗効果は抜群ですよ。寄付が増えているくらいですから」
「だから会わせていただけたんでしょう?」
「いいえぇ、そんなことは全然ないですよ」
 グレイとトレイルは、二人でコソコソ笑っている。
 トレイルはマルフィさんに呼ばれたものだとばかり思っていたのだが、実はグレイだったらしい。ムッとして部屋へ入ろうとした俺の腕を取り、ケンカは駄目、とリディアが止める。
「まぁ、別に恋人同士だと騒がれようと事実ですし、女神に降臨さえ解かれなければ問題ないわけですしね」
 言うなと禁じていた事実をあっさりと口にしたグレイに耐えられず、俺は、呆気にとられているリディアを連れて部屋へと入った。グレイが顔色を変え、控え目な声で言葉をつなぐ。
「あ、ただ、彼らを刺激するようなことは……」

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