至高の空 2


 予定より 3 m弱右だろうか。修正するために出来る限り早く雪面を捕らえ、エッジを立てて踏ん張る。だが、続く左カーブへの途中、足にかかる負担に耐えられないと悟った。それでもあるだけの力で踏みとどまろうとしたが、強力なGで身体がラインから大幅に外れる。転倒することだけは免れたが、一度落ちたスピードを取り戻すのは無理だ。混乱する意識の中、俺はなんとかゴールまでたどり着いた。
 ゴールスペースの脇でひっくり返り、意識的に身体の力を抜いて、ゆっくりと息を吸い込む。冷えた空気が肺から熱を奪っていく感覚に、どうやらちゃんと生きているらしいことや、俺が今一番いたくなかったポジションにいることを痛感させられた。
 転倒してしまっていたら、とんでもなくダメージが大きかっただろう。よくても、極度の緊張から解放された時に起こる節々の痛みからは逃れられない。悪ければ、死ぬことすらあるのだ。あそこでコースアウトしなくてラッキーだったと思い込もうとして、逆に体の芯に残っていた恐怖が再び呼び覚まされてくる。
 少しずつ身体を起こした。全身ガチガチになるほどの力を入れたせいか、ひどく怠い。転倒するよりはましかもしれないが、この状態なら、やはり徐々に痛みが出てくるだろう。
 見える範囲にいた人が、数人こっちへやってきた。異国の言葉で、怪我はないか、と聞かれる。言葉の意味を日本語で反芻し、俺はヘルメットを外して、ない、と短く返事をした。
 ふと、視界の隅を、苦笑いを浮かべた中年の男が通り過ぎていく。そっちに顔を向け、それが俺のライバルだと言われている奴のコーチだと思い出した。そいつは俺と目を合わせると、フッと息で笑って顔を前方に戻し、挨拶のつもりなのか、片方の手を挙げて通り過ぎていく。その仕草が、ひどく気に障った。
 あんたまで心理戦に参加してるのか。そう言いたい口が開かないよう、俺は歯を食いしばって耐えた。俺のコーチはそいつと同じ国の人で、現役時代はそいつとライバル関係と言われていた。俺の目にはどこから見ても、俺のコーチの方が速かったのだが。そんな面倒を持ち込まれても困るが、俺が失敗したのだ、ざまを見ろ、とでも思っているのだろう。
 俺のコーチにはその選手時代、強く憧れを抱いていた。奥さんが日本人だったからか、縁あってコーチを引き受けてもらえたことは、とても嬉しかった。なのに、ここのところ上位30位までに与えられるポイントも取れず、嫌な思いばかりさせているのだろうと思うと、ひたすら悔しい。
 スランプというのはやっかいなもので、抜け出そうともがけばもがくほど、尚更はまりこんでしまう。失敗したのが本番ではなく公式トレーニングで、しかも怪我らしい怪我がなくて、よかったのか悪かったのか。おかげで明日は、身体の節々が痛む中でのレースになるだろう、と俺は自虐的に思った。

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