至高の空 4
最初、何を言われたのか分からなかった。コーチはウォッカの入ったグラスを手に窓まで進むと、カーテンをよけて窓を開ける。冷たい空気が流れ込んできて、足元に絡みついた。外に明かりは少ないが、月のせいか山のシルエットが奇麗に見える。
「このコースは日によって違う色が見えるんだ。ジャンプした時に一瞬だけ、山の隙間の空が目に入るだろ?」
「それ、今日ミスしたとこじゃ」
そういえば、コーチはこのコースで結構な名を残している人だった。一時期はコースレコードも持っていたのだ。あそこのジャンプで、まさか空を見ていただなんて。
「日本語は空の色が少ないネ。英語にはたくさんあるのに」
「え? そんなはず……」
いきなり何の話しだと思いながら、真っ先に空色という単語が浮かんだ。でもそれしか出てこない。宵闇、は闇の色だから違うか。って、俺って、なんでこんなとこまで暗いんだ。
「sky blue、azure blue、cerulean blue、sky gray、それから」
コーチの口にした色は、確かにどれもが全部空色と訳される。
「horizon blue、zenith blue、heavenly blue、なんてのもあるネ」
地平線付近の空色、天頂の空色、そして、神がいると言われる至高の空の色。
「このコースは、私がこの世で唯一 heavenly blue を見た場所だ。ユキヤにも見て欲しい。そのためのラインなんだよ」
そんなことを言われても、俺なんかに見ることが出来るのだろうか。こんな、スランプごときで潰れかかっている俺に。甚だ疑問に思う。
「どうしてユキヤのコーチを引き受けたと思う?」
「え。どうしてって……」
今までコーチの口から、その理由を聞いたことはなかった。なにか理由を見つけようとしても、何も思い浮かばない。お金のためと言ったら殴られそうなくらい格安だし、俺にそんな価値があるとも思えない。奥さんと同じ日本人だからとか、日本が好きだというくらいしか、考えられないのだ。ひどい顔をしているだろう俺に、コーチは笑みを向けてきた。
「死ぬまでに一度でいいから、同じ空を見た感想を誰かと話し合いたかったんだ。私は、同じ空を見られるのは、ユキヤしかいないと思っているんだよ」
不覚っていうのは、こういうことを言うのだろう。思わず涙が出た。
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