脇道のない迷路 2-1
夕日に染まる表通りを、まっすぐ家に戻った。部屋はどんどん暗くなってくる。明かりをつけなければと思いながら、そんな気になれなかった。
さっきから母のことが頭から離れない。名前を聞いたから、なおさらなのかもしれない。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
寂しげな笑顔で母が残した最後の言葉が、騎士になる俺を責めている気がするのだ。
俺が二歳になる少し前に、母は今の父と結婚したらしい。そして前線に程近いドナという村に住んでいた。メナウルの人間は、濃淡はあるが、たいてい茶髪で茶系色の目をしている。だが母と俺の目だけがメナウルにはない濃紺だったため、一部の村人からはよそ者扱いされていた。だがドナで俺が覚えている母は、いつでも笑顔だった。だから多分幸せだったんだと思う。ただ俺に向ける笑顔が、ひどく寂しげな時があった。その時に限って言われ続けたのが、強くなりなさい、という言葉だ。
(強くなりなさい。フォースには他の人にない力があるのよ)
これといって病弱でもなく、いじめられっ子だった訳でもなかった。しかも、他の人にないのは、この目の色だけだ。母が何を思って俺にそう言い続けたのか、今となっては分からない。
俺が五歳の時だ。ドナの村の中心にある井戸に、毒を入れられるという事件が起きた。ちょうど父が村の外の仕事に出かけていて留守の時だった。大勢の村人と同じに、母も俺もその水を飲んだ。だが、俺が少しぐあいが悪くなったくらいで、毒というほどの影響は出なかった。逆にそれが不幸だった。村人の三人が家を訪ねてきた。その中に、いつも一緒に遊んでいたカイリーの父親カイラムもいた。
(お前たちのせいだ! お前たちがいるからこんなことになったんだ!)
そう叫ぶと、カイラムは手にしていた剣で母を斬った。
(お願い、この子だけは殺さないで)
母はその言葉を何度も口にして、倒れてしまうまで俺をかばった。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
そして母が最後に残した言葉がこれだった。俺は無理だと思った。剣を振り下ろしたこの人を、恨まずにいるなんてきっとできない。カイラムは、事切れた母をさらに傷つけようとして剣を振り上げた。俺はただ遺体となった母に取りすがった。このまま母と一緒に殺してくれればいいと思った。でも、その剣が振り下ろされることはなかった。
戦をやめなければ、いつかはドナのような悲劇を繰り返してしまうだろう。はじめは、戦の当事者になれればそれでいいと思った。そうしなければ何もできないし、口さえ出せない。俺にとっては、騎士が一番手っ取り早かった。
でも。結局俺は、あの時のカイラムと同じに剣を振るうのか。二度と見たくないと思ったドナのような惨劇の中へ、自分から足を突っ込むのだ。いったい俺は、どこで道を間違えたんだろう。
だけど、もしこの国で騎士をやって、功績を挙げることができたら。カイラムが悪かったと言ってくれるかもしれない。誰もがドナの事件を、母と俺のせいだと言えなくなるかもしれない。忘れてくれるかもしれない。
明日は騎士の称号授与式打ち合わせ、あさってにはその本番がある。その次の日には出陣式があり、城都を発って前線に行かなければならない。俺にはもう、迷っている暇などないのに。